ユリイカ、かもしれない。

いや、こう、なんていうか。

2019-01-01から1年間の記事一覧

僕とあなたは、違う存在ですので。

ということを言われると、「冷たい」と感じるかもしれない。 「なんだこの野郎」と憤る人もいるかもしれない。 一見、何の情緒もない、身も蓋もない言葉は、実は人間関係の本質を表した言葉であると僕は考えている。 社会学という学問では、大衆をその研究…

共感と、人間と、メディア

「つらさに敏感である人を、本当の教養人と呼ぶ」とは、太宰治の言葉である。 僕が属する若年層は “共感の世代である” と、 半ば的確に、半ば揶揄されながらも、語られてきた。 でも、果たしてこれは若者だけのことなのだろうか。 凄惨な事件が起こる。時代…

コーヒーの選択肢 “時間”と“儀式的行為”について

やれやれ、ここらが集中力の谷間か。 勉強や作業を中断する言い訳として、イチから豆を挽いてコーヒーを淹れる自分がいる。 キッチンへ向かい、1カ月前に買った(いまだ消費しきれていない)コーヒー豆をガラス製の密閉容器から取り出し、ミルでガリガリと削り…

アーカイヴの実践的形態として

僕は、三歳の頃に “トーマス・ランド” へ行った。あれはたしか富士急ハイランドに併設されたものだったであろうか。「そして今でもその記憶は残っている」と言うと、あるいは嘘なのかもしれない。 実のところ、本当に “トーマス・ランド” に行ったと、自信を…