ユリイカ、かもしれない。

いや、こう、なんていうか。

ルーズ・ソックスの記憶と歴史

 

 

先日、ツイッターのタイムラインに興味深いものを見かけた。

 

それは、ルーズ・ソックスが「博物館」の展示物になっているという内容のツイートであった。

博物館の展示物になっているということは、それが歴史的物になったことを示す象徴的な出来事である。しかし、それは歴史であり、いっぽうで記憶でもある。それが記憶であることを示すのは、前述のような内容が発話されたということである。

ツイッター内で「ルーズソックス 博物館」と検索していただきたい)

 

 

「歴史になる」あるいは「記憶である」ということは、どのようなことであるか。

一般には、それは時間的な隔たり(数直線上の距離感)をもって説明されるかもしれない。

 

例えば、平安時代の食事は「歴史」の教科書に掲載される。

一方で、数日前の夕飯のメニューは「記憶」である。

 

国民的な出来事に的を絞れば、玉音放送を聴いてうなだれる人々のイメージは、「歴史」である。

いっぽうで、東日本大震災津波の映像(イメージ)は「記憶」である。

 

このような対比で考えた場合、たしかに「歴史」と「記憶」の差異は、時間的な隔たりが存在するかしないかによって説明されそうだ。

すなわち、時間的な隔たりが大きいほど「歴史」として横たわり、比較的近接的な過去に関することは「記憶」として捉えられてしまうかもしれない。

 

 

もう一度ルーズ・ソックスに話を戻そう。

このモノは、ところが、「記憶」と「歴史」の境界に位置している。すなわち、ある者はこれらを「記憶(=懐かしい)」と捉え、またある者は「歴史」と捉えるのである。

前述のような議論では、この現象を上手く説明することは出来ない。

それは、「ここまでは“記憶”で、ここからが“歴史”である」という明確な基準が設けられていないことに由来するだろう。出来事から五十年経てば自動的に歴史なのだろうか、そんなわけはないだろう。

つまり、時間は分水嶺を持たない。分水嶺が無ければ、そこに位置することもあり得ない。

当たり前であるが、時間とは直進、あるいは循環する概念である。そこに山は無い。

 

 

ならば、「記憶」と「歴史」の差異はどこに求められるであろうか。

モーリス・アルヴァックスは「記憶(集合的記憶)」と「歴史」とを明確に区分する。

金瑛によると、「アルヴァックスは、<集合的記憶>を『生きられた歴史』、『生きている歴史』とも定義」し、「それに対して歴史は『学ばれる歴史』、『書かれた歴史』と定義されている」(金 2020: 122 元引用および仏語表記は省略)。

つまり、「記憶」とは「書かれ学習される歴史に留まらない、人々が生きてきた過去である」のに対し、「歴史」とはあくまで「『客観性』といった指標によって無味乾燥に過去が処理されるだけ」(同掲上: 122)の概念なのだ。

アルヴァックスおよび金の議論を引き継ぐと、歴史は過去の剥製とも言えるだろう。

 

 

ルーズ・ソックスが博物館に収蔵されたことは、この意味で象徴的だと考えられる。

つまり、これらを身に付け、使用し「生きていた」人々が今も健在しているなかで、それらが剥製として博物館に展示されることになったのである。

 

おそらく彼女ら・彼らは、この事態に困惑したに違いない。

われわれの「思い出(souvenir)」だと思っていたものが、まさに剥製として、博物館に存在しているのである。博物館に存在するということは、それを客観することを強いられるということである。

 

 

「ルーズソックスが博物館に展示される時代なのか・・・」

(signa, 2020/11/06)

 

「ルーズソックスとポケベルが博物館レベルなの、泣いちゃった。(年齢的お察しのツイート)」

(さおぽこ, 2020/11/07)

 

 

このように、「記憶」から「歴史」への変化を象徴する出来事は、ある程度の精神的なショックを伴う出来事であったことが窺える。それはある種の喪失感と表現することもできるかもしれない。

いっぽうで、このような発話は、ルーズ・ソックスがいまだ「記憶」として存在していることを炙り出すものであると考えられる。抽象的に言えば、「歴史」への移行を介して「記憶」の存在を確認することができるのである。

 

このように、「記憶」と「歴史」の差異は、出来事が「生きている」と捉えられるか「死んでいる」と捉えられるかに求められると考えられる。

それには、記憶を保存する人、場の存在が鍵であると考えることもできる。

 

いま、「記憶」として保存する力学と「歴史」として剥製化する力学とが交錯する点こそが、ルーズ・ソックスなのである。