この頃、ノスタルジーという感覚をどのように捉えればよいのか、考えるのをやめられないでいる。 とりわけ私が注目し(そして違和感をもっ)ているのは、とある遊園地で昭和の町並み=風景が再現されたことである。そこには、私とだいたい同じような年恰好の…
先日、ツイッターのタイムラインに興味深いものを見かけた。 それは、ルーズ・ソックスが「博物館」の展示物になっているという内容のツイートであった。 博物館の展示物になっているということは、それが歴史的物になったことを示す象徴的な出来事である。…
恥ずかしながら、この歳になったのに、頬に大きなニキビができてしまった。 幸いにも、僕の存在を構成するうえで顔はそれほどの役割を果たしていない(要するに“かっこいい”顔ではない)ので、“容姿として”それほど気にする義務は無いのだけれども。 しかし、…
ということを言われると、「冷たい」と感じるかもしれない。 「なんだこの野郎」と憤る人もいるかもしれない。 一見、何の情緒もない、身も蓋もない言葉は、実は人間関係の本質を表した言葉であると僕は考えている。 社会学という学問では、大衆をその研究…
「つらさに敏感である人を、本当の教養人と呼ぶ」とは、太宰治の言葉である。 僕が属する若年層は “共感の世代である” と、 半ば的確に、半ば揶揄されながらも、語られてきた。 でも、果たしてこれは若者だけのことなのだろうか。 凄惨な事件が起こる。時代…
やれやれ、ここらが集中力の谷間か。 勉強や作業を中断する言い訳として、イチから豆を挽いてコーヒーを淹れる自分がいる。 キッチンへ向かい、1カ月前に買った(いまだ消費しきれていない)コーヒー豆をガラス製の密閉容器から取り出し、ミルでガリガリと削り…
僕は、三歳の頃に “トーマス・ランド” へ行った。あれはたしか富士急ハイランドに併設されたものだったであろうか。「そして今でもその記憶は残っている」と言うと、あるいは嘘なのかもしれない。 実のところ、本当に “トーマス・ランド” に行ったと、自信を…